野球雑談

甲子園未出場のメジャーリーガー達!その足跡をたどる!

甲子園未出場のメジャーリーガーっているの?

どれくらい活躍してメジャーへ行っているの?

 

こんなお悩みを解決します。

 

☑著者のプロフィール

小さいころからドラゴンズファン

中学の頃にマネーボールを読んで感激

もっぱら見る専門!独学でセイバーメトリクス歴5年

甲子園未出場のメジャーリーガーはどれくらいいるの?

約3分の1は甲子園未出場

直近10年ぐらいを見てみると

メジャーリーガー21人中7人は甲子園未出場です。

 

やはり、メジャーリーガーになる人の多くは

高校時代から頭角を現し

全国大会である甲子園への出場を果たしていますね。

 

そして、高校時代に注目されそこからさらに力をつけ

メジャーへステップアップしているということでしょう。

ここ10年の甲子園未出場のメジャーリーガー達

直近10年を見てみると

以下の選手たちは甲子園未出場でした。

  • 山本由伸投手
  • 今永昇太投手
  • 鈴木誠也選手
  • 千賀滉大投手
  • 澤村拓一投手
  • 秋山翔吾選手
  • 牧田和久投手

山本由伸投手

  • 誕生日:1998年8月17日
  • 出身:岡山県備前市出身
  • 右投右打
  • 所属:ロサンゼルス・ドジャース

野球に集中できる環境を求め、先輩の紹介で宮崎県の都城高等学校へ進学し、1年生から本格的に投手として練習を始める。

1年夏の選手権宮崎大会に「9番・三塁手」として出場。1年秋から本格的に投手へ転向すると、2年春にストレートで147km/h、同年夏の宮崎県新人野球大会で151km/hを計測した。さらに、同大会決勝の鵬翔戦ではノーヒットノーランを達成。

2年秋の宮崎大会では、宮崎海洋戦で5回参考ながら完全試合を記録した。

しかし、3年夏の選手権宮崎大会では肘の負傷を周囲に隠したまま登板し、初戦の2回戦延岡学園では、7回3分の2を投げて3安打1失点11個奪三振の好投により7-3で勝利するも、

3回戦の宮崎商戦では投手戦の末0-2で敗れた。九産大九産の梅野雄吾、福岡大大濠の浜地真澄、れいめいの太田龍と共に九州四天王との評価をされていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E7%94%B1%E4%BC%B8

 

甲子園未出場ですが、

九州四天王といわれるほど地元では名の通った存在だったようですね。

2年の時点でノーヒットノーラン・完全試合を達成している

まさに神童と言える活躍

 

個人的な印象

オリックスで中継ぎでデビューしてきて

「由伸」という名前で印象に残っていましたね。

先発になったら、もはや手が付けられないような

気づいたら、あっという間に日本を代表するピッチャーになってましたね。

独特なフォームや独特なトレーニング方法も

結構話題になっていましたね!

今永 昇太投手

  • 誕生:1993年9月1日
  • 出身:福岡県北九州市八幡西区出身
  • 左投左打
  • 所属:シカゴ・カブス

 

永犬丸西小学校時代にソフトボールを始めると、北九州市立永犬丸中学校への進学後に軟式野球部へ所属。投手としては身体が小さく、野球強豪校からのスカウトを受けるほどの成績も残せなかったため、

中学卒業後は自宅の近くの公立校・福岡県立北筑高等学校へ入学した。

北筑高校では硬式野球部に所属。同校は下校時刻が19時30分のため「平日の練習時間を2時間半に限る」という環境の下で、1年生の秋から対外試合に登板した。

在学中は春夏ともに甲子園球場での全国大会出場は果たせなかったが、3年時の春季福岡県大会1回戦で折尾愛真高校戦で14三振を奪い、NPB球団のスカウトからの注目を集めた。同年の夏の甲子園福岡県予選では、4回戦に進出、小倉高校戦で最速144キロメートル毎時 (km/h) のストレートを武器に好投したものの1-2で惜敗し甲子園出場は叶わず、

高校卒業前に中日ドラゴンズから「下位になるけど、指名させて欲しい」旨を伝えられたこともあったが、卒業後は駒澤大学へ進学した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%B0%B8%E6%98%87%E5%A4%AA

 

福岡の県立高校出身ということで

甲子園への道はかなり遠かったことでしょう

 

大学で頭角を表して、

プロに入り。

プロに入ってから、さらに一段伸びてきたという印象ですね

 

個人的な印象

出てき始めたときは

ベイスターズはいい左ピッチャーが多くいるイメージで、

その中の一人という印象でした。

一度開幕投手をしたときに、ものすごい球を投げていたのが

印象てきですね。

鈴木 誠也選手

  • 1994年8月18日
  • 東京都荒川区出身
  • 右投右打
  • シカゴ・カブス

中学校時代には荒川シニアに所属していた。

二松学舍大学附属高校へ進学してからは、投手として1年時の秋からエースの座を確保。2年時には、4月下旬に右太ももの肉離れを発症。同年夏の東東京大会では、本調子から程遠い状態でありながら、チームの準決勝進出に貢献。関東一高との準決勝では、5回に満塁本塁打を打たれるなど不調でチームも0-7で8回コールド負けを喫した。

3年夏の東東京大会では、準決勝で谷岡竜平擁する成立学園高校と対戦したが2回途中3失点で降板。8回に再び登板したものの4点を追加された末にチームも6-8で敗れた。なお、この大会では成立学園が優勝している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E8%AA%A0%E4%B9%9F

甲子園出場校のエースで主砲、

実力も十分だったことでしょう。

しかし、惜しくも甲子園出場には、

チャンスに恵まれなかったといえましょう。

 

個人的な印象

鈴木誠也選手といえば、やはり

「神っている」でおなじみの

2試合連続サヨナラホームランですよね。

 

その後も、理想的な右の長距離砲として活躍十分でした!

千賀 滉大投手

  • 1993年1月30日
  • 愛知県蒲郡市出身
  • 右投左打
  • ニューヨーク・メッツ所属

愛知県立蒲郡高等学校には志望校に不合格で仕方なく進学した形で、高校進学後はボクシングかサッカーに転向しようと考えていた。

野球部はお世辞にも強豪とは言えず、同じ中学の野球部だった先輩から誘われる形で野球部に入部したが、本人は当初野球に本気ではなかった。入部後、本人の希望は経験のある内野手であったが、「キャッチボールをしているのを見た段階です。ボールの伸びが野手の球ではなかったんです。これは投手の球だなと思いました。」という監督・金子博志の意向で投手へ転向すると、1年夏から公式戦に登板。

膝痛を抱えていたこともあり、2年秋と3年春は公式戦に登板しなかったが、3年夏の県予選2回戦ではプロ3~4球団のスカウトが見守る中、愛知商業に7-5で勝利。しかし、岡崎商業との3回戦に1-7で敗退した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%B3%80%E6%BB%89%E5%A4%A7

千賀投手は特筆すべき投手です

公立高校でしかも無名校

 

千賀投手としてもどこまで野球に本気だったのか・・・

というような感じですね。

 

甲子園出場は夢のまた夢であったでしょう。

 

個人的な印象

育成契約から出発していて

やはり、お化けフォークで知るようになりましたね。

ただ、ソフトバンクの2軍では

相当しごかれたみたいですね。

腹筋1日1000回とか

練習がキツ過ぎるとか

そういった逸話は

この本に載っています!

澤村 拓一投手

  • 1988年4月3日
  • 栃木県栃木市出身
  • 右投右打
  • 元ボストンレッドソックス

小学2年時に野球を始め、6年から投手を務める。この頃から自己主張が強かったという。栃木市立東陽中学校でも野球部に所属して県大会に出場。

佐野日大高校時代は3番手投手として夏を迎え、登板機会がないまま栃木大会決勝で敗退。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BE%A4%E6%9D%91%E6%8B%93%E4%B8%80

澤村投手は高校は競合校でしたが、

控え投手で最後の大会で登板もなかったという立ち位置だったのですね。

 

その後大学で覚醒したということですね!

ちなみにハンカチ世代です!

個人的な印象

ドラフトの時動画で見て、

ものすごい球を投げるピッチャーだな

という印象でした。

巨人に入ってからは、

色々と苦労はあったことでしょうね。

秋山翔吾選手

  • 1988年4月16日
  • 神奈川県横須賀市出身
  • 右投左打
  • 元シンシナティ・レッズ

横浜創学館高等学校では1年時からレギュラーとなるも、3年夏は県ベスト8で敗退し甲子園出場は無かった。秋山

」。横須賀市立大津中学校時代は横浜金沢シニアに所属していた。更に陸上部にも所属し、脚力を磨いた。

横浜創学館高等学校では1年時からレギュラーとなるも、3年夏は県ベスト8で敗退し甲子園出場は無かった。秋山は全国的には無名であったもののドラフト候補にもその名前が挙げられていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E5%B1%B1%E7%BF%94%E5%90%BE

高校時代から光るものがあったようですが、

強豪校ひしめく神奈川では甲子園出場かなわず!

 

やはり大学で才能を伸ばしてきた選手です。

 

個人的な印象

西武ライオンズであまり注目はしてなかったのはありますが、

あっという間に好打者になっていて

日本記録を打ち立てたりしましたね!

 

日本への復帰もレッズからカープ

というユニフォームが似たチームの移籍

そして意外とトークが面白い

なんとも言えない好感度があります。

牧田 和久投手

  • 1984年11月10日
  • 静岡県焼津市出身
  • 右投右打
  • 元サンディエゴパドレス

静清高等学校に進学。1年時の秋にアンダースローに転向した。甲子園出場はない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A7%E7%94%B0%E5%92%8C%E4%B9%85

静清高校も静岡県では強豪校です。

しかし、高校時代には目立った活躍はなかったようです。

 

大学では日本代表に選ばれ、

その後社会人へ

そこからプロ入りを果たしています。

個人的な印象

アンダースローということで、やはり目立ちましたよね

社会人出身、即戦力で衝撃的なイメージでした

まとめ

ここまでの内容をまとめます。

  • 直近10年では3分の1は甲子園未出場です
  • 甲子園未出場の7名の軌跡についてみてみました

野球の雑学について学ぶと野球観戦がさらに楽しくなるのは間違いなし!

身近の野球オタクとの話のネタにぜひ!

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